「紫禁城も秦王宮もある横店影視城」~映画に関する腑に落ちる話(7)

2001年フィルム・コミッションの仕事を始めてから、海外の撮影環境について独自に調査を始めた。世界中の映画振興機関、撮影所、オープンセット、プロダクションなどを廻ってきた。その中で、最も刺激的なオープンセットが、中国にあった。 中国では、北京、上海、西安、長春と主な撮影所に伺ったが、かつての国営施設は全て老朽化している。度々ジオラマになった将来計画について説明を受けるのだが、実現したとは思えない。民間では「上海影視楽園」が有名だが、基本は上海租界セットである。半日で見切れる。以前からスケールの大きさについて聞いていた横店影視城に、長春撮影所の方から連絡を付けてもらって、2007年2月訪れた。も […]

「自分のことは自分で整理する(6)~肩書50、執筆(書籍・雑誌)、被取材(書籍・雑誌・新聞・放送)一覧

私が自発的に理事を引き受けた3つの団体がある。(上の写真は、その3つの団体の資料) 政策学校NPO「一新塾」 92年11月テレビ朝日「ニュースステーション」に大前研一氏が出演、「平成維新の会」という新しい市民活動を始めると発表した。 翌日、事務局に入会を連絡し106番目の会員となった。その後、大前氏の都知事選落選などがあり、人材育成機関として「政策学校一新塾」が設置された。私はこの塾の一期生となったが、それから8年、NPO化するタイミングで理事に就任した。 全国フィルム・コミッション連絡協議会  01年8月、全国のフィルム・コミッションや関連団体で設立し、理事・副会長となった。当時私はソニーP […]

自分のことは自分で整理する(5)~山梨での地域プロジェクト、文科省採択事業、主な14件の概要(2005年~2015年)

05年4月、山梨県立大学で教員になってから、学生と共に多くの地域プロジェクトを開始した。ほとんどは自分のオリジナルプロジェクトである。大体は、現状で行われている内容と方法の限界を感じたところから始まっている。目的を明確化させ、具体的な獲得目標に基づいて計画したものであると自負している。(上の写真はYDP出発風景) <地域プロジェクトプロデュース>      05年11月~2011年2月「やまなし・ディスカバラー・プロジェクト」 毎年GWや休日を利用して、車5台で学生と共に県内27全自治体の「ロケ適地」のフィールド調査し、「富士の国やまなしFC」にデータ提供した。収録データは4000件に上る。 […]

自分のことは自分で整理する(4)~作品制作、イベント制作60件一覧(1978年~2015年)

上の写真は、私の妻が出資して製作されたドキュメンタリー映画「沖縄 うりずんの雨」のDVDである。 以下に、私の映像関連活動実績の全貌を記す。 その前に、記憶がなくならない内に説明しておきたい作品がある。<映画作品>の「現の実朝」、16mm50分の自主製作作品である。当時私は、映画監督を夢見ていて、慶応大学入学時から製作の準備をしていた。スタッフとして使えそうな人と友人を増やし、お金を貯めた。 4年になって、鎌倉・浄明寺の1戸建てを1か月借り切り、最大30名のボランティアの協力の下で撮影を行った。現像は、面倒見がいいと勧められたソニーPCLである。大学卒業後、ここに入社するとは夢にも思っていなか […]

自分のことは自分で整理する(3)~連載記事タイトル288一覧(1987年~2012年)

<1987年~2006年> 映像業界を中心に、多くの新聞、雑誌に単発原稿、連載記事を書いていた。 当時に私が知られるようになったのは、常に鮮度の高い情報や自分の意見を発信し続けたことによる。 元々、原稿書きは苦手であった。高校2年の修学旅行のレポート2000字を書くのに、四苦八苦していた。業界で記事を書くようになってから、姉から「国語が得意だったは知らなかった」と驚かれたことをよく覚えている。だが、今でも得意だとは思っていない。 大きな転機が訪れたのは、業界紙である映像新聞(週1回発行)の清水編集長から「ハイビジョン」に関する連載記事の依頼だった。当時、ハイビジョンソフトに関する記事は、業界で […]

自分のことは自分で整理する(2)~海外101か国151回渡航記録(1988年~2018年)

初めての出国は71年、返還前の沖縄に訪れた時だった。専用のパスポートを取った。鹿児島港から「さくら丸」で那覇に渡った。本島では、父の友人の中学校長に戦地遺跡を案内してもらった。再び長い船旅をして、石垣島へ。現地出身の友人と西表島まで行った。道路もなく、マングローブだけの島だった。 普通の意味での初海外旅行は、88年ハイビジョン(HD)関係の視察でアメリカに行った時だった。当時私は36歳。NAVショー(ラスベガス)という最先端電気電子機器の展示会に参加した後、アメリカの通信、放送関係のキーパースンとの会合に出席した。 91年以降は、毎年海外に行くようになる。初めの内は、パッケージツアーが多かった […]