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お別れのコトバをいまのうちに

私は65歳、遅かれ早かれ死亡する。告別式で弔辞が読まれるが、死者には聞こえない。選りすぐりのエピソードなら、ぜひ生前聞かせてもらいたいものである。本人としても、誰が何を考えていたのか知りたいものだ。また、式場で弔辞を読める人は選ばれた人でチャンスは少ない。この際、私の告別式を想定して、私を知る多くの方々から、今から「お別れのコトバ」いただいておこうと思う。こうしていただいた「コトバ」集を編集、印刷して、本番の時、配布したいと思っている。いい思い出となるはずだ。

・形式自由(私とどこで出会い、私と何をし、私をどう理解したか、など)
・記名(匿名厳禁)
・私が感動したものについては記念品贈呈
・公序良俗に反し人権を傷つけるものは即削除


  記念品は投稿から3ヶ月で順次届くようにします

41 comment
  1.  一新塾に入塾して先生と出会いました。講義ではフィルムコミッション設立のお話をうかがいました。大きな功績を残しているのになぜ自分には関係ないというか偉ぶらないのかが不思議でした。先生は何かに没頭していながら何か他のことを見ているように映りました。そして今日、先生のブログで「私は、常に「マイノリティ」でありたいと考えていて…」という一文を目にしました。そんな考えかたがあるのかと驚くと同時に何か先生のことが少しわかったような気になりました。真実とは、マジョリティの中にではなくマイノリティの中にある気がします。ハッとさせられました。
     ライフアート、自尊神など興味深いタイトルが並び、これからの更新を楽しみにしています。

    1. メッセージ第1号、ありがとうございました。
      私のサイトが面白いと言っていただき、ありがとうございました。
      頑張ります。

  2. ☆美術鑑賞会という、大学サークルで出会いました。さて、誰でしょう。
    ツェッペリンのレコードを自転車に乗って、日吉にとどけにきてくれたこと、仲間と麻雀したこと、SKIにでかけたこと(同じスキー場にはできるだけ行かない方針がある。)などが、20代の思い出です。

  3. サイトオープン、おめでとうございます。
    前澤さんとは、76年に慶大の美術鑑賞サークル「洗濯船」で出会って以来ですから、もう40年経ちます。活動範囲、スピードがものすごく、いつも刺激を受けます。97年、返還前の香港に二人で行きましたが、あれから前澤さんの世界遍歴に磨きがかかったようです。

    1. 香港には、その時初めて行きました。ついでに、マカオで「大中小」、シンセンで麻雀牌を買いましたね。
      その年、仕事もあって4回も香港に行ってしまいました。

  4. 前澤さんがマイノリティでありたい方だとブログ開設で知った。
    「なるほど、そういわれてみれば…」と。いち早く「全国フィルムコミッション協議会」を立ち上げトップでありながら懇親会の幹事もする。大きな流れも作りながら細々とした会員の動きも見て即座に次の事業展開を図ってきた前澤さん。当たり前のことのようだが、誰もができることではない。
    地方沼津で愚痴っていても会議に行けば「ここには同志がいる」「やっぱり頑張ろう!」と思えてくるのは、前澤さんが率いてきたからであると常々思ってきた。全国組織を作ること束ねることルールを浸透させることがどれだけ大変なことか。できないことを言い訳にしない、解決できるか否かはトップ次第であることも30歳過ぎて更に確信するに至った。
    振り返れば、前澤さんの協議会がどれだけ全国の仲間に影響を与え進化をもたらしてきたか。私が協議会に魅力を感じていたのは「他には存在しない」ものであったからなのだ。それは前澤さんがマイノリティであったからなのだ、と今、合点がいった。

    1. おほめにあずかり、少しこそばゆい感じです。逆に私は、金子さんから相当のエネルギーをいただいてきました。どうやら感じあっていたようですね。

  5.  前澤さんとは、同じ慶應大学の美術史専攻で、ゼミは違ったけど、確かK先生の特別講義でいっしょだったのが友人づきあいのはじまりだと記憶している。学生は数人で、当時助手だった先生も一緒に授業のあといつも日吉の飲み屋だかにしけこんだよね。
    前澤さんって、当時から、ぶっとんでるというか、枠にはめようにもとうていはまらないタイプで、既にインドだかバングラデシュだかを放浪していたから、私たち同期生より実年齢も精神的にも年上だったし、経験豊かな大人の男(笑)、だったよねー。
    私が新聞記者になってもたまにランチして、いろいろ新しい世の中の動きを教えていただいたね。音楽やメデイアの最先端の仕事をしていて、世界あちこちを見ていて、スケールがでかくって、いつも、とても新鮮だったよ。

    お世話になったのは、私になかなか子どもができなくて治療先を探していたとき、お身内の、亡くなられたI先生や、S先生をご紹介くださったこと! 本当にありがとう! 
    諦めた末に授かった息子、立て続けにできた娘、ともに、そのS先生に慶應病院で引っ張り出していただいたわけだから、我が家では、S先生共々前澤ご夫妻は、足を向けては寝られない恩人だと思っている。

    その後、子育てや仕事やらでばたばたして、ずっと、ほとんどお会いできなかったけれど、今回お見舞いで久々にお会いして、一気に長い空白の時間がちじまったように思ったよ。思い出を共有した学生時代の友達って、いいもんだなって、あらためて思った。

    めっちゃお洒落なブログ作っちゃって、もーおどこまでもかっこよすぎだけど、まだ65歳じゃん。焦らずに、もっとのんびりして、奥さんの言うこと聞いてきちんと治したら、、、遊ぼうー(笑) 

    快癒を、首をながくして、お待ちしています。

    (新聞記者と同時にイラストレーターとしても活動している自己紹介ブログを、ウエブサイトの項目に添付します。前澤さんみたいなブログのあとだと恥ずかしい限りですが)

    1. うれしいコメント、ありがとうございました。「既にインドだかバングラデシュだかを放浪していたから」というのは、誤解です。ただ、当時の私の風体は、直毛の髪を背中まで伸ばし、黒シャツと黒ズボン、下駄をはいて、鈴のついた手編みの肩掛けをしてので、きっとそうだと記憶が作られていったのでしょう。

  6. 前澤さんと始めて出会った日の記憶はあまり残っていません。たぶん2001年か2002年の釜山映画祭の期間中に始めて出会ったでしょう。その時も確かにいろいろお世話になったはずですが、私の記憶での前澤さんは2003年春ごろパク監督と一緒にした日本フィルムコミッション回りからです。1週ぐらいの短い日程で12ヶ都市を車で回るアドベンチャー。東京から上田‐松本‐高山‐金沢‐福井‐大阪‐神戸‐姫路‐広島‐北九州‐福岡までの旅行。覚えてますか?
    3時間運転して1都市の関係者と1時間ぐらい出会って、また3時間運転して次の都市に移動。 日本での運転がはじめだった私のせいで交代時にも一睡も寝ずに運転指導のため大変だった姿。毎日夜ホテルの狭い部屋で3人で酒を飲みながらいろんな話をした面白い思いで。すべてがとても楽しかったです。

    その後長い間、毎年日本と韓国釜山で出会ったすべての瞬間が私の記憶にちゃんと残っています。本当に本当にありがとうございました。

  7. 国内のフィルムコミッション行脚は、私にとっても楽しい旅でした。各地を回って気が付いたのは、同じ日本でもそれぞれ文化が違い、奥が深いうことでした。
    私は韓国では怖くて運転しませんが、イーさんが日本での運転が怖いと言ったのを不思議に思ってました。ちなみに帰りは、北九州からフェリーに乗ったのですが、同室の自衛隊員のイビキがすごく、朝5時に目覚ましがなり、ほとんど眠れなかったことを覚えています。

  8. 先生とは、農家民泊を山梨県に導入するプロジェクトで一緒に活動させていただきました。
    活動の一環で新潟、長野へ絶対交通安全車に乗りながら遠征中、何度か先生の助手席に座らせていただいた時に先生の大学生活や仕事、先生の一貫したマイノリティでありたいという思いを学びました。
    当時の僕は、自分がなぜこの大学にいるのか、この先何をするためにここにいるのかで非常に悩んでいました。そんな時に、先生の考え方や行動力に強く惹かれ、結果的に私は東京に出るという決心ができました。先生と共に過ごすことができたのはたったの1年間でしたが、先生との活動で得た経験は今の僕にとっても変わらず大きな財産となっています。これからも先生の更新を楽しみにしております。

    1. ありがとうございます。
      立教大学で充実した学生生活をしている文面にほっとしています。私があなたに決断を促したのだとしたら、嬉しく思います。大抵の場合、もう自分で決めていることですからね。その調子でいけば、これからたくさん面白いことが始まります。自分の人生は読めないからワクワクします。

  9. 前澤さんご無沙汰しています。福岡アジア映画祭ではお会いできてよかったです。あれから上映運動を重ねて何とか来年早春にポレポレ東中野でロードショーが決定しました。2月ころ招待状を送りますね(構成に変化はありませんがちょっとだけ手を加えます)。早く元気になってくださいね。お身体どうぞご自愛ください。またコメントします。

  10. 一新塾で先日卒塾した森安です。
    卒塾式ではお会いできずに残念でしたが、またお会いできる日を楽しみにしております。
    卒塾式のプロジェクトプレゼンにおいて、おかげさまで主体的市民賞を頂くことが出来ました。一新塾に行って本当に良かったと思っております。
    今後もご指導いただきたいと思います。
    さて、さきほどの謎の飛行物体について、ちょっと興味があり調べてみました。おそらくこれの類ではないかと
    思われたので、ご連絡させて頂きました。
    http://www.04u.jp/aerial01.html
    いかがでしょうか?

  11. 前澤先生、お久しぶりです。
    3年くらい前の夏、学生たちが農家民泊の調査をする合宿の受け入れをした、上野原市西原の長田容子です。
    あれから山梨県でも規制緩和ができ、私もすぐ下にあった空き家を古民家再生ワークショップを行いながら、年内にも10年来の夢の農家民宿を開業できそうです。
    前澤先生にも報告とお礼をと思って調べたらここへたどり着きました。驚き、そしてメッセージを残させていただいています。
    山梨県でも、やっと農家民宿を普及させようと力を入れるようになりました。その裏には先生や学生さんたちの活動があったからだと思っています。
    いろいろありがとうございました。
    ぜひお身体の調子が安定したら、泊りに来ていただけたらと思っています。

  12. 長田さま

    ありがとうございました。山梨での「農家民宿」拡大活動で学生と共にお伺いし、お世話になりました。
    ついに開業されるとお聞きし、大変うれしく思っています。
    元気な女の子ももう小学生ですね。元気になりましたら、ぜひお伺いいたします。

  13. 常識を疑い、ものごとの本質をえぐる直球の言葉にいつもハッとさせられています。
    常に旧い殻を脱ぎ捨てる前澤さんの脱皮人生にいつも刺激をいただいています。
    その奥に揺るがぬ軸が一本貫かれていることも感じさせていただいております。
    いつも一新塾の屋台骨を支えていただいておりますこと本当にありがとうございます。
    引き続き、塾生の志を生きる挑戦の後押しをどうぞよろしくお願いいたします。

  14. 前澤さんとの出会いは、1997年の「日本映画100年」の年に遡ります。映画が渡来した年を記念して京都映画祭を開幕することになり、京都市民向けの約20分の『映画のふるさと京都』(監督:山内鉄也)を制作し、ハイビジョンで上映しようということになりました。問題は資金。早速ソニーPCLの大阪営業所にスポンサーになって欲しいと依頼しに行きました。そこで「社内で唯一、お金を儲けなくて良い人がいる」と教えられました。それが当時、広報室長だった前澤さんでした。

    すぐに連絡を取り、35㎜のフィルムを持って、東京でお会いしました。ロシアから里帰りした映画『何が彼女をそうさせたか』の復元支援も重ねてお願いするという私の厚かましさを面白がって、当時の郡山社長さんにも紹介していただき、映画祭のスポンサーにもなっていただくことができました。

    その後も、日本映画テレビ技術協会の講演会や会合でお会いする機会が増え、親しく接して下さいました。とりわけ思い出深いのは、2000年に「20世紀の告別式」という招待状が届いた折のことです。20業種100名の全く知らない者同士の集いです。映画会社や映画祭関係者、テレビ業界の人、奥様の関係で、医学関係の方、大学の先生も居られました。この珍しい集いに、京都から一人のこのこ出かけて行きました。前澤さんの11月18日付けブログ「楽しいパーティを演出しよう。」にその時のことが詳しく書かれています。その集いで「フィルム・コミッションを立ち上げる」とお聞きしたと記憶しています。彼が立ち上げた「フィルム・コミッション」は、今や日本各地に広がり、目覚ましい活躍をしているのはご存知の通りです。

    誰かがやるのではなく、先頭に立って行う仕掛人、先駆者です。前澤さんとの出会いに凄く刺激を受けた私は、2006年に「映画の復元と保存に関するワークショップ」を立ち上げ、今年夏に11回目を数えました。今では国内外に賛同者が増え、映画保存に対する意識が広まり、そして後継者も確実に育っています。また昨年5月、京都市内に「おもちゃ映画ミュージアム」をオープンさせました。貴重な映画を発掘し、保存し、次世代に継承することを活動の柱にしています。運営は大変ですが、リスクを恐れるのではなく、前澤さんのように仕掛人でありたいと思って始めました。人と人が集うことで、化学反応が起こり、新しい出会いと新しい展開が生まれます。方法論は違っても、まさに前澤さんの生き様です。

    前澤さんは私にとって、刺激的な発想や啓発に富んだ多くの事柄を教えていただいている恩人です。一日も早く回復されることを、心から願っています。

  15. 太田さん、熱いメッセージありがとうございました。突然厚かましいお願いをされましたが、その熱意に応えるしかないとその場で思いました。近くのイタ飯やで食事をしましたね。その時、紹介してもらったのが、「ニュースステーション」の記者桜田さんでした。その縁で2000年秋に「フィルムコミッション」を企画もので取り上げてもらいました。この番組で多くの一般の人が、フィルムコミッションを知ることとなりました。太田さんに会ったことで、私の方が恩恵を受けています。これが、GIVE&GIVEの関係です。久米宏さんが、この特集の最後に「日本の警察の全面協力は無理だろうな」と余計なことを言って締めました。でも、海外映画人からすると、やっぱりいまだに事実です。

  16. 前澤さん、「お別れのコトバをいまのうちに」と言われてもですね、「想定」されるときはずっと先のほうがいいわけですから、そうするとまた新しいエピソードが出来たりして内容が変わっちゃうので、そうだ、更新制にさせてくださいね。
    それに、ここに書く内容の指針として、「私とどこで出会い、私と何をし…」って、前澤さんへ向けたコトバというより他の方々への説明ですから、別れというより、出会いをつなげてられるような…。思えば前澤さんは、ここのところのブログを拝読するに、ずっと人と人との出会いを作ってこられた方のように思いますよ。そうやって、プロジェクトやムーブメント、教育……等々が連なってきているのですね。
    前澤さんとの出会いは、ライターズ・ネットワークでしたね。メディア・リテラシー研究会も、何度もごいっしょして話し合いました。よく人の面倒をみてくださる方で、いろいろ教えていただき、前澤さんには感謝しています。あと、前澤さんたちの始められたプロジェクトに参加してみて、ちょっと違ったかも…ということもありましたね。そんなこともあるほうが当たり前ですから、いい経験です。
    私が東京を離れたため、もう何年もお会いできていませんが、このウェブが出来て初めて、こんなこともされていたんだ、あんなこともされていたんだ、というのがわかりました。それで、もっとどんどんお話がうかがいたくなりました。
    しかし、なんといっても一番驚いたのが、「LIFE ARTIST」宣言です。その一環としてか、病室の冷蔵庫に置かれた祭壇のはっちゃけぶり(?) 
    ふと思い出したのですが、以前、前澤さんは、アーティストのことを指して「お金のために動かない」連中だとおっしゃっていたように記憶しています(どこか、印象に残る発言でした)。実際にはアーティストも、職業としてのキャリア形成など考える側面もあるかと思いますが、今の前澤さんは、アーティストとしてほんとうにピュアで新しいことができるときなのかな…と、今後の展開をドキドキしながら見守っています。

  17. 三浦さま。メッセージ、ありがとうございました。
    まず更新制は、グッドアイディアですね。
    最後は国際テロリストになっている可能性もありますし、気が変になって怪しい教祖かもしれないですからね。
    すごくうれしい言葉がいっぱいで天国に登ってしまいそうです。このコーナーは自己満足としてベストだと確信しました。
    皆さんもぜひ、おやりになるといいですね。互いに褒めあうことは、個人の力をアップします。
    また私は、年を経るごとに、どんどんピュアになっていくしかないと思っています。
    そんな感覚で世界を見て、自分のできることを具体的に見せていければ本望です。
    そして、今まで多くの素晴らしい人と出会ったことがどれだけ幸せなのかをかみしめています。

  18. 前澤先生、「お別れのコトバ」ではありません。
    でも「伝えておきたいこと」として、メッセージをお送りします。

    【私とどこで出会い】
    前澤先生とお会いしたのは、山梨県立大学がまだ旧山梨県立女子短期大学の校舎を使っていた頃の「男女共同参画アドバイザー養成講座」での前澤先生の講義。
    短時間かつ山梨県立大学准教授に就任されたばかりだったこともあり、話の内容はほぼ自己紹介的なものではありましたが、鮮やかなその話しっぷり、そして時間ピッタリで完結させたことに感動したことを今でも覚えています。「4年間(県立大教員を)やってみて、その後どうするかはまた考える」という表明にも驚き、「山梨が試されるんだな」とちょっとドキドキしました。

    先生、覚えていますか?この日、足早に甲府駅に向かわれていた先生に声をかけ、車で駅までお送りしたのは私です(笑)。先生は私の車の中に散らかっていた音楽CDの中からめざとく「JEFF BECK」を発見されて「あ、おんなじ世代ですね」とかおっしゃったんですけれど…「ちがう!ワタシはもうちょっと若い!」と心の中で叫んでいた、のですよ。(大笑)

    前澤先生と、なにかおつながりが持てるといいなあ、と思ったのはこのときからです。

    【私となにをし、】
    2006年、前澤先生の「地域プロデューサー養成講座」受講。第一期生!そしてプロジェクトの発表者をつとめさせていただけたことを今でも誇りに思います。
    本当は、休んでしまった日にプロジェクト発表者は締め切られていたのですが、先生は「明日の○時までにPPTを作成して提出!」の条件でチャンスを与えてくださり、大慌てて作成して先生にお送りしたことも今では良い思い出です。
    翌年、山梨市での「地域プロデューサー養成講座」の開催もうれしかったです。六市町村合併に失敗して分断してしまった山梨市と旧塩山市の市民活動仲間が集うきっかけになりました。
    そして新たに山梨市に誕生したNPO法人設立のきっかけにも。
    NPOが開催する新年会にも毎年来てくださいましたね。地域の公民館でおばちゃんたちの手料理や漬け物が並ぶような新年会でしたが、前澤先生はいつも愉しそう、すごく喜んでくださいました。眞理子さんが一緒に来てくださったこともありましたね。

    山梨市街の駅での「市民活動のビッグバン!」ではたくさんの方々ともつながることができました。
    先生に顧問になっていただいたNPOも法人格は返上してしまいましたが、メンバーがそれぞれ自分のやりたいこと・できることを再確認して今でも活動を続けています。

    そして私は、今また前澤先生とお話しししたくて、8年続けた伊豆生活から山梨に戻ってきました。

    【私をどう理解したか】
    既存の考え、「あたりまえ」にとらわれない。
    真っ先に浮かぶのはコレです。

    でもルーズな私にとって、先生がいちばん気づかせてくれたのは「時間を守ること」。
    脳内時計がズレまくっているのを理由にしてはいけませんね。これからも気をつけます。

    先生が先生として山梨においでになった時の年齢に近づきました。
    私はいま母の故郷の石和にいて「地域プロデューサー」としてがんばるつもりです。
    そして、またお会いしてお話できる日を楽しみにしています。

    12月12日12時12分  前澤哲爾先生 全快の祈りを込めて

    1. ありがとうございます。このページで私が希望した理想的なコメントです。すべてが網羅されています。
      何となく、教員と学生の関係に似ているような気がします。これだけ、立派で吸収力のあるな学生さんがいるとうれしいですね。
      甲府駅に送ってもらったことを覚えています。その時、結婚して〇年なのに、まだ「きたりもん(よそ者)」扱いされると
      山梨の保守性を指摘していました。今はどうなんでしょうね。
      山梨と思えば伊豆にいたり、「かえっこクラブ」をはじめ様々な活動でも神出鬼没な印象を持っています。
      私から学ぶことはないくらいバランスがいい人だと思っています。
      これからのご活躍、お祈りいたします。

  19. 2007年に山梨県立大学福祉コミュニティ学科に入学し、プレゼンテーション学を受講しました、寺内と申します。
    と言っても、一学生で、先生の記憶にはないと思いますが、一言お礼を申し上げたく、こちらに投稿させていただきます。
    18歳の頃は何も考えずにただただ漫然と生きていた人間でした。自分に自信もなく、人前で自分の意思を伝えるという事が大の苦手で、ずっと敬遠していたように思います。
    先生の授業では、人前でプレゼンテーションを毎回行うので、初めの頃は正直嫌だなと思っていました。

    しかしながら、人に何かを訴えかける事が、意外と楽しいものなんだなと思えるようになったきっかけの授業があります。

    今でも鮮明に覚えている授業
    『自分の地元の良いところを伝えてみよう』
    地元の栃木県を四季ごとに紹介し、自分でも拍手を送りたいと思うくらいに魅力を伝えられた、そういった充実感があった事を今でも覚えています。
    それまでの人生で、人前で何かを伝えることに成功した経験が無かった私にとっては、大きく成長した瞬間だったなと思います。

    きっとこれからもふとした時に蘇る
    そんな授業でした。

    唐突な投稿で申し訳ありませんが、
    先生の授業は本当に面白かったです。
    先生のハキハキとしていながら、どこか優しさも感じる、そんなとても耳に気持ち良く響く声も覚えています。

    きっと多くの学生が同じように前澤先生の授業をきっかけに、自分の意思を伝える大切さを学んだ事と思います。

    一刻も早い回復と、今後の活躍をお祈りしています。
    ありがとうございました。

    1. 何と嬉しいメッセージでしょう。感動してしまいます。
      07年1年ということは、9年前ですね。まだ4年生がいなかった時です。
      その授業のことをこのように伝えていただいて、
      教員冥利につきます。本当にありがとうございます。
      <「プレゼンテーション授業で学生を変える」~学生の主体性を引き出す方法の模索(1)>を
      見ていたいただいたのかと思いましたが、よくたどり着きましたね。
      今はどこでどんなお仕事をしているでしょうか?

  20. 前ちゃん
    最初に会ったのは、おそらくハイビジョンの会議か何かですね。36年前だと思います。その後、一緒に東京国際映画祭のハイビジョン部門のプロデューサーをやったり、イベントごと、面白いことにはいつも誘ってもらいました。新映像!?の勉強にディズニーワールドにも行ったね。私が、郵政の役人にセクハラ(という言葉は当時なかった)されて、断ったら怪文書を流されたときに、私のことを「ハイビジョン卑弥呼」と呼んで毎日のように呼び出していた、電通とか国営放送とか電機メーカーのおじさんが潮を引くように私の周囲からいなくなったよね。そんなときにも、前ちゃんだけは以前と変わらずにいてくれたし、意趣返しまで真剣に考えてくれていました。結局何もしなかったけど、あのときどんなに勇気づけられて、うれしかったことか! 前ちゃんの正義感がまぶしくて、ありがたくて、それだけで私は顔を挙げて生きていけたよ。山梨に行ってからも、講演を頼まれたりして、自分にできるのかなと思いながら、やってみたらみんな喜んでくれて、本当にうれしかった。やっぱり前ちゃんは、人と人、場と場、未来と現在をつなぐ達人なのだと思います。その才能をいつまでもいかしてね。病室から何が見えますか? 今度教えてね~ 

    1. 成田さま。
      メッセージ、ありがとうございました。そういう風に感じていただいていたのですね。文章で書いていただいて初めて知ることも多いです。私は「理不尽」なことに怒りを抑えられません。実はそれが行動の原点のようにも思います。昔のことで二度と話さないだろうと思っていたことでも、このコーナーを作って蘇ります。私にとって本当によかったと思います。

  21. 前澤先生
    ご無沙汰しています。総政4期生くらいだった花村です。いまは名古屋市の外郭団体で市の国際化業務をするところで働いています。私は大学時代にロンドンの大学に留学して、ありきたりですが、価値観ががらっと変わりました。卒業後は大学院に進学しPublic Healthを学びました。在学中に青年海外協力隊でセネガルに派遣が決まっていましたが、体調を断念しました。今はやっと落ち着いて 実家にもまぁ近い名古屋で働いているところです。幸いこちらでいい人も見つかり、来年くらいに結婚式しようか~みたいな感じです。
    先生は本を読まない大学教授でしたよね、先生、読まないっておっしゃってました。私は本が読めない大学生でした。でも私はバカすぎたので苦手な勉強を無理やり図書館にこもってしまくったら病んでしまいました笑。やっぱ好きなことしまくるのがいいですかね。私は次は、内緒なんですが、コスタリカの大学院にちょっと行きたいと思っています。でも今の職場にはお世話になっている(迷惑かけてます)し、家族やフィアンセとの生活もあります。わからないけど、子作り計画も。大人になるってこういうことですかね。
    FacebookやInstagram(もうJKじゃないんだから止めとこうとか)などのSNSについてや、こういうWebサイトについても気になることばかりです。お見舞い行っていいですか。お手紙お送りしていいですか。(^○^)先生の世界のお土産ください。私も旅行に行くと「実用的な珍しい物」買います♪おもしろいですよね。また旅に行きたいですね、フィルムコミッションで山梨のいろんなとこに車でみなさんと行ったのも懐かしいです。
    まだまだ先生に教えてもらいたいことがたくさんです!早く良くなってくださいね(^o^)/それでは、また。have a lovely day,

    1. 花村さま。

      メッセージ、ありがとうございました。お元気そうで何よりです。そして、色々悩みながら生きてる感じでいいですよ。青春の特権です。そう私は「本を読まない教授」でした。少しかっこよく言えば、「本よりも人から学ぶ」ですね。「内緒なんですが」は、もう世界公開されましたが、大丈夫ですか?ついでですが、なぜコスタリカなのですか? お見舞、手紙、なんでも大歓迎です。元気になったら、素晴らしい英語の歌を聞かせてください。カラオケに行った途端、生き生きとして熱唱して、びっくりしたことを覚えています。

  22. 息子と娘を海外旅行へ連れて行って頂き有難うございました。
    高速道路で運転する勇気が出たのは、キョロロン村へ行く途中、先導していただいたお陰です。その約20年前に長野県の次兄の家へ行く時、父の案内で中央自動車道を通りましたが、その頃は通行量が少なく、軽自動車の制限時速が75kmだった(と記憶しています)のであまり怖くなかったような気がします。
    それから、足利女子高校を卒業し自転車を館林に乗って来る途中道に迷い、佐野駅まで迎えに来ていただき有難うございました。

    1. ありがとうございました。
      全く記憶がないことがあるんですね。言われても思い出しません。高速道路を走る勇気は私が先導したからとは知りませんでした。ところで、キョロロン村とは一体なんでしょう? また自転車で足利から館林に帰るというのも全く覚えておりません。何をしたのでしょうか?今言われると、「49年後の有難う」ですね。

      1. 哲爾さんには体験したことが豊富なので忘れたことも多いと思います。
        キョロロン村は、20数年前、両親と兄弟家族で行った福島県にある遊び場です。どこに泊まったかは忘れました。自然の中に各種遊具や、ゴーカート、バギー、アーチェリー等あって子供から老人まで楽しめる所でした。
        足女生の時には、館林から(父の先導で)乗って行った自転車を足利市駅近くの駐輪場に預け、通学しました。卒業したので足利から館林まで持って(乗って)来る時に道に迷い、佐野駅を見つけたので電話をしたら、哲爾さんが自転車に乗って迎えに来たのです。
        それから、母が「自転車に乗れるようになったのは哲爾さんが早朝練習に付き合ってくれたからだ。」
        と言っていました。

  23. はじめまして前澤様。奈良県に住んでおります島田と申します。
    お会いしたことも無いのに、いきなり不躾なメッセージを送ることご容赦ください。誠に申し訳ございません。
    私は現在前澤さまが、行われていた交通安全ステッカーを車に貼ることを趣味としております。
    しかしながら仕事もしており、近畿地方を中心に100つを超えたあたりで取得が難しくなっています。
    ふと、Googleで交通安全で検索したところ、前澤様の車を発見し、自分の目指すものであると思いました。
    交通安全ステッカー取得の先達である前澤様から、何か取得スピードの向上に向けて御助言をいただきたいと思い連絡させていただきました。
    また、前澤様のステッカーの画像を見させて頂き、どこの神社のものか教えていただきたいものも多数ありました。実際にお伺いして、お車を見させていただきたい思いもあります。
    いきなりの連絡で申し訳ありませんが、どのような内容でも構いませんので、何卒ご連絡お待ちしております。

  24. 前澤様へ。
    大変丁寧なメールを送って頂きありがとうございました。恐れ入ります。
    交通安全ステッカー収集をする上で困っていたことを解決に導いて頂きました。
    誠にありがとうございます。
    奈良県在住なので、西の交通安全ステッカーを集めてから東へ進んで行くつもりです。
    前澤様が作られたリストも拝見させて頂きながら頑張りたいと思います。
    また、実際に同じ趣味の先輩として前澤様とお会い出来たら良いなとも思っております。今後ともよろしくお願いいたします。

  25. 前澤さん、ご無沙汰しております。ソニーPCL時代の同僚の小田です。(私は8年前にPCLを早期退職して今は主夫です)
    白血病罹患との事、初めて知りました。私も2016年秋に嗅神経芽細胞腫という希少癌に罹患し、運良く早めの発見で陽子線治療により
    抗癌剤を使用せずに治療完了できました。やはりこの経験で寿命がそれほど沢山残っていない事を実感しました。自分で健康寿命の間
    にやりたいことをやっておこうと色々な場所を訪れ、残っているのは数か所程度とまあ10年位の間には果たせそうです。
    皆既日食10回との事、私のような天文マニアでもないのにビックリです。私の最後の目標は2035年9月2日に自宅で皆既日食を見る事で
    す。お互い運良く生きていたらしっかり見たいですね。

  26. 前澤先生、こんにちは。
    山梨県立大学の望月そらと申します。
    覚えていらっしゃらないかもしれませんが、授業で少しお世話になりました。
    フィルムコミッションについてお聞きしたいことがあり、連絡させていただきました。
    連絡先が分からなかったので、こちらで失礼します。
    入院の為に退職されたと聞いたので、治療中等でご迷惑だったら申し訳ありません。 

    先生が創立者だったとは知らず、最近読んだ『フィルムコミッションガイド』という本の中で先生を見つけて驚きました。
    創立者の立場からいくつかお聞きしたいので、メールアドレスに連絡をいただけると幸いです。

    フェイスブックにも送ってしまいました。すみません。

    望月そら

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