Blog

あなたはいつから死を意識しましたか

私は40歳代である。しかし、その時は残された時間をいかに自分らしく生きていくかを模索した。具体的死を念頭に活動を開始したのは還暦からである。

まずは、お世話になった多くの人を招き還暦パーティ。60年間で一巡したので、2番目の名前「哲斎」を名乗った。新宿「パセラ リゾーツ」で60人を招き第壱会、「特急スーパーあずさ29号」の中で第弐会、甲府の「ボンマルシェ」で第参会の連続開催。

誰にも言っていなかったが、私にとっては第1回「お別れ会」のつもりだった。生き残れば、第2回、第3回と続く。次のタイミングは、来年3月に「山梨さよならパーティ」と「東京さよならパーティ」、4月に前橋にあるアトリエで近所の人を呼んで「お披露目パーティ」を予定している。

もう一つは、見たいものを見に行くこと。10年近く前から「糖尿病」になりかけてきた。この病気で失明することもある。私の人生は、映像と切り離せないもので、失明こそ失望・失意である。「交通安全ステッカー」収集の旅は、実は全国津々浦々見て回る旅だった。仕事では、20年間で46都道府県(宮崎県を除く)行ったが、もう一度違うテーマで全国を回りたいという衝動にかられ、2年半で走破できた。約300万円かかっている。

映画もシニア料金なので、気軽にハシゴした。全国行脚の後は14年~16年の3年間で約500本見続けた。新宿シネマート、シネマカリテ、フューマントラストシネマ渋谷、イメージ・フォーラム、ユーロスペース、UPLINKの常連になった。

白血病の原因のがん細胞が増えだしたと思われる今年の夏から、パプア・ニューギニア、バヌアツ、フィジー、ソロモン諸島で釣りをし、インドのムンバイとハイデラバードの映画スタジオを視察、上海からバス5時間かけて普陀に行き、チャンイーモウ演出「普陀印象」を見てきた。入院の1週間前にはエジプト・ギザのピラミッドに登っていた。早期発見は良いこととされるが、その場合はどこにも行けなかった可能性がある。

私は何とラッキーな人生を歩んできたことか。もういつでもいいという準備はできている。

写真は、私の研究室、世界から集めた私の「お土産」の一部である。パーティの時などに差し上げている。当サイトのmessageの記念品にも活用する予定である。

One thought on “

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です